ゲノム・トーカー (創元SF文庫)
ゲノム・トーカー (創元SF文庫)

林 譲治 (著)
1万6000年前の太陽系から
人類の遺伝情報を発信したのは
誰なのか?
圧倒的な知的興奮を喚ぶ
人類史×宇宙SF
2034年。木星圏へ投入された探査機「さいせい」は、ミッションの途上で奇妙な電波源に遭遇する。カメラに映り込んだ巨大な黒い影──直径100メートル、全長500メートルの円筒は、現生人類がはじめて接触する異星種族の宇宙船だった。彼らは1万6000年前に放たれた人類の全遺伝情報(ゲノムデータ)を受信し、発信源を辿って太陽系を訪れたのだという。だがあらためて言うまでもなく、当時の地球上には高度な文明など存在しなかったはずだ。ゲノムを他星系に送信したのは、未知の超古代文明なのか? それとも……。圧倒的な知的興奮を喚ぶ、人類史×宇宙SF。

病気療養中、たくさん本を読みました。
それから、以前から配信サービスでお気に入りに入れていた映画も、ずいぶん観ました。普段は「いつか観よう」「そのうち読もう」と思いながら、その「いつか」がなかなか来ません。ところが療養中は、体は思うように動かない一方で、本や映画に向き合う時間は少し増えました。
もちろん、元気いっぱいで読書三昧、映画三昧というわけではありません。体調と相談しながら、休み休みです。
それでも、物語の中に入っていく時間はありがたいものでした。体は同じ場所にいても、本を開けば宇宙にも行けますし、未来にも行けます。配信の映画を再生すれば、知らない町や、知らない時代や、知らない誰かの人生に少しだけお邪魔できます。
病気療養中の読書や映画鑑賞は、私にとって現実逃避というより、現実を少し違う角度から眺めるための窓のような時間でした。
今回読んだのは、林譲治さんのSF小説『ゲノム・トーカー』です。
舞台は2034年。木星圏で探査機が奇妙な電波源を見つけたことから、人類と異星種族との接触が始まっていきます。しかも、その異星種族が太陽系を訪れた理由には、はるか昔に宇宙へ送られた「人類のゲノムデータ」が関わっている、という設定です。
遺伝子、人類史、宇宙、異星種族との対話。
こう書くと、かなり大きな話です。診察室の机の上には血圧計、聴診器、処方箋。小説の中には木星圏、宇宙船、異星文明。ずいぶん距離があるようですが、読んでいるうちに、不思議と日々の診療や暮らしのことを考えていました。
この作品を読んでいて、まず強く感じたのは、AI全盛期の今は、ある意味で「SF受難の時代」なのではないか、ということです。
今は本当に、何でもAIです。文章を書くにも、画像を作るにも、調べものをするにも、仕事の補助にもAIが出てきます。医療の世界でも、診断支援、画像解析、事務作業の効率化など、AIの話題を聞かない日は少なくなりました。
本書にもAIは随所に登場します。
ただ、AIの分野は進化があまりにも早いのです。近未来を描いた作品の中に出てくるAIが、読んでいる時点ですでに「今使われているAI」に近く感じられることがあります。さらに2、3年後に読んだら、「これは未来というより、少し前の技術だな」と感じる部分が出てくるかもしれません。
これは、近未来SFを書く側にとってはなかなか大変な時代です。
宇宙船や異星文明には、何十年たっても変わらないロマンがあります。一方で、AI、通信技術、端末、情報処理の描写は、現実の進歩が速すぎます。未来を描いたつもりが、あっという間に現実に追いつかれ、場合によっては追い越されてしまう。
つまり、近未来SFは「未来」を描いているのに、すぐに「少し前の未来」になってしまう危険を抱えています。
でも、だからこそ『ゲノム・トーカー』は、今読むのが面白い作品だとも感じました。
AIが生活や仕事に急速に入り込んできた今だからこそ、本書の近未来感がとても生々しく感じられます。遠すぎる未来ではなく、すぐそこにありそうな未来。片足は現実にあり、もう片足は想像の世界にある。その距離感が、今の時代にちょうど合っているように思います。
そういう意味で、この本は「今が旬」の一冊です。
数年後に読むと、AIの描写に少し古さを感じるかもしれません。けれど、それは欠点というより、SFというジャンルのおもしろさでもあります。未来を描いた作品は、時間がたつと、その作品が書かれた時代の空気も一緒に閉じ込めた標本のようになります。
「この頃の人たちは、未来をこんなふうに想像していたのだな」と感じることができる。これはこれで、なかなか味わい深いものです。
そして、この作品のもう一つの大きな魅力は、「人間とは何か」という問いが、宇宙規模で描かれているところです。
私たちは普段、自分の体を自分のものとして当たり前に扱っています。お腹が空けば食べ、眠ければ眠り、調子が悪ければ「今日は体が重いな」と思います。ところが、遺伝子という視点で見ると、私たちの体には、はるか昔から続いてきた情報が受け継がれています。
自分ひとりで完結しているようで、実は長い長い時間の流れの先に、今の自分がいる。
そう考えると、少し不思議な気持ちになります。
外来でも在宅医療でも、病気を診るときには、もちろん検査値や画像検査、薬のことを考えます。ただ、それだけでは見えてこないものもあります。その人がどんな生活をしてきたのか、どんな家族と暮らしているのか、どんな仕事をしてきたのか、何を大切にしているのか。
人間は、検査結果だけでできているわけではありません。
『ゲノム・トーカー』を読んでいて、私は「人は何かを受け取り、何かを手渡しながら生きているのだな」と感じました。遺伝子という大きな話だけではありません。言葉、習慣、家族の癖、地域の記憶、仕事のやり方、ちょっとした笑い方。そういうものも、知らないうちに誰かから受け取り、また誰かへ渡しているのかもしれません。
もちろん、受け継ぐものがすべてありがたいものとは限りません。
家族との距離感は難しいですし、体質や病気のなりやすさに悩むこともあります。仕事の責任や、地域の中での役割が重く感じられる日もあります。人間はなかなか思い通りにはいきません。
私自身も治療を受けながら仕事と生活を続けていると、「体というものは、こちらの予定表どおりには動いてくれないなあ」と思うことがあります。
こちらとしては、もう少し段取りよく、きびきび動いてほしい。できれば午前中に用事を片づけ、午後は読書、夜は映画、という美しい予定を立てたい。ところが現実の体は、こちらの予定表をあまり読んでくれません。
「今日は休みましょう」と、体のほうから静かに決定通知が届く日もあります。
それでも、暮らしは続いていきます。
大きな宇宙の話を読んだあとに、朝ごはんを食べ、薬を飲み、洗濯物をたたむ。人類史に思いをはせながら、冷蔵庫の卵の賞味期限を気にする。木星圏の電波源について考えながら、ゴミ出しの日を確認する。
スケールの差がありすぎて、少し笑ってしまいます。
でも、たぶんそこが人間らしさなのだと思います。宇宙の謎を考える頭で、今日の夕飯の心配もする。未来のAIについて考えながら、目の前の体調にも付き合う。私たちは、なかなか忙しい生き物です。
在宅医療の現場では、病気そのものだけでなく、その人がどこで、誰と、どんなふうに暮らしていくかを一緒に考える場面があります。病気をなくすことだけが医療ではなく、病気があっても、その人の日常が少しでも続いていくように支えることも大切です。
総合診療の外来でも、検査値だけでは見えにくい生活上の困りごとに出会うことがあります。体の不調の背景には、仕事、家族、睡眠、食事、地域での役割など、いろいろなものが関わっています。
病気があっても、暮らしは続きます。
だからこそ、医療は病気だけでなく、その人の日常にも目を向ける必要があるのだと思います。
『ゲノム・トーカー』は、宇宙や遺伝子という大きな題材を扱いながら、私たちの日々の暮らしにもそっと光を当ててくれる作品でした。そしてAI全盛期の今だからこそ、近未来SFとしての鮮度も強く感じられる作品でした。
たぶん、未来はすぐ古びます。
でも、人間が「自分たちは何者なのか」と考える気持ちは、そう簡単には古びません。AIがどれだけ進化しても、宇宙がどれだけ遠くても、私たちは今日の体調と相談しながら、食事をして、眠って、誰かと話し、ときどき本を読み、映画を観ます。
病気療養中に本を読み、映画を観る時間は、私にとってそのことを思い出す時間でもありました。
体は思うように動かない日があっても、物語の中では少し遠くまで行って帰ってこられます。宇宙まで行ったあとに、温かいお茶を飲む。未来のAIについて考えたあとに、そろそろ寝ようかと思う。
それくらいの距離感が、案外ちょうどよいのかもしれません。
病気があっても、不調があっても、予定外のことが起こっても、私たちは今日を暮らしていきます。
あまり大げさに構えすぎず、できる範囲で工夫しながら、笑えるところは笑いながら。
『ゲノム・トーカー』は、そんな日々の中で、少し遠くの未来と、足元の暮らしの両方を眺めさせてくれる一冊でした。

