『惑星カザンの桜』を読んで、AIと人間の距離を考える

惑星カザンの桜 (創元SF文庫) 林 譲治 (著) 

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一万光年を隔てた異星で、
調査隊員750名はなぜ消息を絶ったのか?
広漠たる地表で待ちうけるものとは
緊迫のファースト・コンタクトSF

一万光年先の惑星・カザンで、文明の急激な成長と滅亡が観測される。すでにワープ航法を手にしていた人類が、急遽この星へ送り込んだ調査チーム750名は、到着後完全に消息を絶った。カザン文明はいかにして滅び、先遣隊はなぜ遭難したのか? 第二次調査隊は厳戒態勢のもと、ついに惑星の地表へ降り立つが──現代宇宙SFの旗手が描きだす、緊迫のファースト・コンタクトSF。

前回の入院中、林譲治さんのSF小説『惑星カザンの桜』を読みました。

一万光年先の惑星カザンで、文明の急激な成長と滅亡が観測される。そこへ送り込まれた調査隊が消息を絶ち、さらに第二次調査隊が惑星へ向かう――という、いかにもSFらしい設定の作品です。

未知の惑星、消えた調査隊、滅びた文明。こういう言葉が並ぶと、それだけで少しワクワクします。宇宙、謎、調査、危機。SFの定食セットのようで、読書の入り口としてはとても楽しい一冊でした。

読みながら思ったのは、「面白い。でも、少しAIに寄りかかりすぎているかもしれないな」ということです。

もちろん、作品の中にAI的な存在や高度なシステムが出てくること自体は、今のSFとして自然なことだと思います。現実の私たちの暮らしでも、すでにAIはかなり身近になっています。文章を書いたり、調べ物をしたり、予定を整理したり。知らないうちに、ずいぶん助けられています。

ただ、便利なものは、時々「考える筋肉」を少し休ませすぎることがあります。

AIが答えを出してくれる。システムが判断してくれる。誰かが先回りしてくれる。そうなると、人間は楽になります。楽になるのは悪いことではありません。むしろ、しんどい時には大事です。

でも、何でも寄りかかりすぎると、「自分で迷う時間」や「自分で考える面倒くささ」まで手放してしまうことがあります。

この作品は、暇つぶしとして読むにはちょうど良い面白さがありました。ページをめくる力はありますし、SFらしいスケール感もあります。ただ、読み終えたあとに何度も読み返したくなるかというと、そこは少し違うかもしれません。

本にも、いろいろな役割があります。

人生の節目で何度も開きたくなる本もあれば、休日の午後に気楽に読んで、「ああ、面白かった」で十分な本もあります。どちらが上という話ではなく、読書にも体調や気分に合った距離感があります。

診療の場でも、少し似たことを感じます。

たとえば、検査値や画像の結果はとても大切です。今は医療の世界にも、さまざまな支援システムがあります。便利な道具は、きちんと使えば大きな助けになります。

けれど、医療は数字だけでは終わりません。

その人がどんな暮らしをしているのか。家で何に困っているのか。家族との距離感はどうなのか。薬は飲めているのか。食事は取れているのか。夜は眠れているのか。

総合診療では、検査値だけでは見えにくい困りごとに出会います。在宅医療では、病気だけでなく、その人の暮らしそのものに触れることがあります。

そこには、AIやシステムだけでは拾いきれない、人間らしい揺れがあります。

もちろん、人間の判断も万能ではありません。むしろ、よく間違えます。院長自身も日々、「もう少しうまくできたかな」と思うことがあります。人間はなかなか思い通りにはいきません。

だからこそ、道具には助けてもらう。でも、最後のところでは、自分の目で見て、自分の頭で考えて、人と人として向き合う。

そんな当たり前のことを、このSFを読みながら少し考えました。

『惑星カザンの桜』は、深く人生を揺さぶる一冊というより、宇宙SFの世界にしばらく遊びに行くような作品でした。忙しい日々の合間に、少し遠くの惑星まで出かけて、またこちらの暮らしに戻ってくる。そんな読書も悪くありません。

本は、いつも人生を変えてくれなくてもいいのだと思います。

ちょっと気分転換になる。少し頭が別の方向を向く。読み終えてお茶を一杯飲む。

それくらいの読書も、暮らしの中ではけっこう大事です。

AIも、SFも、医療も、便利なものは上手に使いながら、寄りかかりすぎず、ぼちぼちやっていく。

そんな距離感が、今の時代にはちょうど良いのかもしれません。