映画『教皇選挙』――「確信」よりも「疑い」を抱えて進むということ

去年、病気発覚前に、映画『教皇選挙』を観ました。
正確には、「観ました」では少し足りません。映画館で3回観ました。
主演のレイフ・ファインズが気になっていたことに加えて、この手の作品としては珍しく宇部の映画館でも上映されていたので、これは行っておこう、と足を運びました。
※ちなみにその他にも有名な役者さんが多く出ています。個人的にはトワイライト・ゾーンに出ていたジョン・リスゴーも”つぼ”でした。フットルースにも出演していましたね?
さて、本題に戻りますが、一度観ただけではどうにも全部を消化しきれないのです。結局、同じ映画を3回観ることになりました。
その後、わりと早くAmazon Prime VideoやNetflixでも観られるようになり、「もう配信されるんかい」と少し複雑な気持ちにもなりましたが、映画館の暗闇の中で、あの映像と音楽に包まれる時間はやはり別物です。家で観られる便利さとは別に、わざわざ映画館へ行く意味もあるのだと思います。
教皇を選ぶ、という密室劇
『教皇選挙』は、ローマ教皇の死去を受け、次の教皇を選ぶために世界中から枢機卿たちが集まる「コンクラーベ」を描いた映画です。
選挙を取り仕切るのが、レイフ・ファインズ演じるローレンス枢機卿。
システィーナ礼拝堂という閉ざされた空間の中で投票が繰り返されるのですが、そこにいるのはもちろん「聖人」ばかりではありません。思想の違いがあり、派閥があり、野心があり、過去の秘密もあります。
教皇を選ぶという、とても神聖に見える営みの中に、実に人間くさい駆け引きが入り込んできます。作品中でも、候補者たちの立場や秘密、教会の進む方向をめぐる対立が次々と表面化していきます。
ですから宗教映画というより、かなり上質な政治サスペンス、密室ミステリーとして観ることもできます。
音楽を担当しているのは、同じエドワード・ベルガー監督の『西部戦線異状なし』でも音楽を担当したフォルカー・バーテルマン。私にとっては、この音を映画館で聴きたかったことも足を運んだ理由のひとつでした。
私が何度でも観たかった理由
この映画で特に心に残った場面が、二つあります。
一つ目は、コンクラーベを前に、ローレンスが枢機卿たちに語る説教です。
彼は、多様な人間、多様な考え方が教会を強くするのだと語ります。そして、自分が長く教会に仕える中で恐れるようになったものとして、「確信」を挙げます。
何の疑いもなく、
「自分が正しい」
「こちら側が正しい」
「答えはもう分かっている」
と思い始めたとき、人は他人の話を聞かなくなる。
信仰とは、疑いがすべて消え去った状態ではなく、むしろ疑いを抱えながら歩いていくことなのではないか――そんな趣旨の説教です。映画の記録でも、ローレンスの説教は「多様性」「寛容」、そして確信が統一や寛容を損なう危険について語る場面としてまとめられています。
私は、この場面をもう一度聞きたくて映画館に行ったようなところがあります。
そして二つ目は、後半、新しく枢機卿団に加わったベニテスが語る場面です。
外で大きなテロ事件が起こり、怒りと恐怖の中で、「敵と戦わなければならない」と勇ましい言葉を口にする枢機卿が現れます。
それに対して、コンゴ、バグダッド、カブールなど実際の紛争地域で働いてきたベニテスが立ち上がります。
彼が言うのは、敵は外にいる人間だけではない、ということです。
本当に戦うべきものは、自分の中に生まれる憎しみや恐怖、そして「自分たちだけが正しい」と思ってしまう心なのではないか。
さらに、教会とは過去を守るだけのものではなく、前へ進んでいくものだ、と語ります。作中でもベニテスは、戦争を現実に見てきた経験から、単に外側の「敵」を相手にしているのではないという趣旨を語っています。
この場面は、かなり堪えました。
「確信」は案外こわい
考えてみれば、これは宗教だけの話ではありません。
仕事でも、家庭でも、医療でも同じです。
「これはこうに決まっている」
と思った瞬間、見えなくなるものがあります。
医療の世界にもガイドラインやエビデンスがあります。もちろん、それらは大切です。しかし、目の前の人の暮らしは、一冊の教科書どおりには進みません。
同じ病気でも、一人暮らしなのか、家族と暮らしているのか。
仕事を続けたいのか、少し休みたいのか。
何を大切にしているのか。
薬を飲むこと自体が大変な生活なのか。
そこまで見ていくと、「医学的にはこれが正解です」だけでは足りない場面がたくさんあります。
波乗りクリニックで行っている総合診療でも、検査値だけでは見えない困りごとに出会います。在宅医療ではさらに、その人の家、家族、食事、日々の習慣といった「暮らしそのもの」に触れることになります。
だからこそ、
「私はこう思う。でも、違う見方もあるかもしれない」
という余白は、とても大切なのだと思います。
敵は、案外「自分の中」にいる
ベニテスの言葉も同じです。
人間は、何か怖いことが起きると、原因を外に求めたくなります。
「あの人が悪い」
「あの集団が悪い」
「あいつさえいなければ」
そう考えれば、世界は少し分かりやすくなります。
でも現実は、だいたいもう少し面倒です。
自分の中にも、怒りがあります。嫉妬もあります。怖さもあります。認められたい気持ちもあります。
診療所の院長をしていても、「こちらの説明を分かってほしい」と思うことがありますし、忙しい日には心の余裕が狭くなることもあります。
人間ですから、まあ、あります。
大事なのは、それがない人になることではなく、
「あ、いま自分は少し意地になっているな」
「自分の正しさに寄りかかりすぎているな」
と気づくことなのかもしれません。
完璧にできなくても、気づいたところから少し軌道修正する。
そのくらいでよいのでしょう。
前へ進む、ということ
『教皇選挙』には、信仰、政治、権力、偏見、秘密など、かなり重たいテーマが詰まっています。
それでも私がこの映画を好きなのは、最後まで「人間は不完全だ」という前提を捨てないところです。
迷う。
間違う。
野心もある。
それでも、考え直すことはできる。
疑いながらでも、前へ進むことはできる。
これは病気や老いとの付き合い方にも、少し似ている気がします。
すべてを完全に理解してから人生を進められる人はいません。
病気になったら、治療のことを考える。
体力が落ちたら、予定を少し変える。
できなくなったことがあれば、できる方法を探す。
私自身も治療を受けながら日々の診療を続けていますが、予定どおりにいかない日は普通にあります。
そのたびに、
「では、今日はどうするか」
を考える。
人生は案外、その繰り返しなのかもしれません。
確信がなくてもいい。
迷いがあってもいい。
ときには間違いながら、できる範囲で修正して、ぼちぼち前へ進む。
映画『教皇選挙』は、そんなことを考えさせてくれる作品でした。
宗教や歴史の知識があると、より深く楽しめる映画だと思います。ただ、それがなくても、「偉い人たちが集まって次のトップを決める」という、人間くさい密室サスペンスとして十分に面白い作品です。
そして、もし観る機会があれば、ローレンスの「確信」についての説教と、ベニテスが語る「本当に戦う相手」についての言葉に、少し耳を傾けてみてください。
深刻な話ほど、ほんの少し立ち止まって、自分の「正しさ」を疑ってみる。
それだけでも、世の中は少し暮らしやすくなるのかもしれません。
作品紹介は、人生を少し違う角度から眺めるきっかけになる――そんな映画でした。波乗りクリニックのブログでも、作品そのものを楽しみつつ、そこから日々の暮らしへゆるやかにつながる書き方を大切にしています。
https://www.netflix.com/watch/81928693
全世界に14億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派・カトリック教会。その最高指導者にして、バチカン市国の元首であるローマ教皇が、死去した。悲しみに暮れる暇もなく、ローレンス枢機卿(レイフ・ファインズ)は新教皇を決める教皇選挙<コンクラーベ>を執り仕切ることに。世界各国から100人を超える強力な候補者たちが集まり、システィーナ礼拝堂の扉の向こうで極秘の投票が始まった。票が割れるなか、舞台裏で蠢く陰謀、差別、スキャンダルの数々にローレンスの苦悩は深まっていく。そして新教皇誕生を目前に、厳戒態勢下のバチカンを揺るがす大事件が勃発するのだった――。
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