病気も込みで人生——不調を敵にしすぎない生き方

病気も人生: 不調なときのわたしの対処法

はじめに——外来でよく聞く「歳のせいでしょうか」

外来で、ときどきこう尋ねられます。

「これは歳のせいでしょうか」
「どこか悪いのでしょうか」
「このまま治らなかったら困ります」

もちろん、見逃してはいけない病気はあります。
検査が必要なこともありますし、治療を急いだ方がよい場合もあります。

けれども、診察室で話を聞いていると、症状そのものと同じくらい、「不調である自分をどう受け止めたらよいのか」に困っている方が多いように感じます。

病気そのものよりも、病気になった自分を責めてしまう。
以前のように動けない自分に腹が立つ。
家族や職場に迷惑をかけることを、必要以上に恐れてしまう。

その気持ちは、よくわかります。
私たちはいつの間にか、「健康であること」を一つの義務のように考える時代に生きているのかもしれません。

『病気も人生』という、少し肩の力が抜ける題名

曽野綾子さんの『病気も人生』には、病気をただの不幸として片づけない視点があります。

本の中では、病気のない人生はおそらく少なく、病気も込みで人間であり、いいことも悪いことも込みで人生なのだ、という考え方が示されています。病気は決定的な不幸ではなく、一つの状態である、という見方も印象に残ります。

これは、病気を美化する言葉ではないと思います。

病気になれば、痛い。
動けない。
予定が崩れる。
周囲に頼らざるを得ない。
収入や家族の生活にも影響します。

ですから、「病気にも意味があります」などと簡単に言うのは、少し乱暴です。苦しんでいる人に向かって、そんな言葉を急いで差し出す必要はありません。

ただ、それでもなお、病気を人生の外側に追いやらないという態度には、静かな強さがあります。

健康を大事にすることと、健康に縛られること

健康は大切です。
これは疑いようがありません。

眠ること、食べること、体を動かすこと、必要な診察を受けること。
どれも軽く見てよいものではありません。

けれども、健康を大事にすることと、健康に縛られることは少し違います。

体調の小さな変化をすべて悪い兆候として拾い上げていくと、生活の中心が「生きること」ではなく「異常を探すこと」になってしまうことがあります。

血圧、血糖、コレステロール、体重、睡眠時間、歩数。
数字は役に立ちます。
しかし数字が増えるほど、人は安心するとは限りません。

むしろ、数字を見るたびに不安が増える方もいます。

『病気も人生』には、「健康を気にし過ぎる病」という章立てがあります。目次を見ただけでも、健康そのものが、時に人を不自由にすることがあるという問題意識が伝わってきます。

これは現代の外来にも、そのまま重なります。

健康情報は増えました。
スマートフォンで検索すれば、病名も治療法も体験談も出てきます。
けれども、情報が増えた分だけ、不安も増えました。

知ることは大切です。
ただ、知りすぎて眠れなくなるなら、少し距離を置くことも必要なのかもしれません。

「病気とは律儀に付き合わない」という知恵

この本の第1章の題は、「病気とは律儀に付き合わない」です。

この言葉には、妙な明るさがあります。

病気を無視する、という意味ではありません。
治療を拒む、という意味でもありません。

そうではなく、病気に人生の全権を渡さない、ということではないでしょうか。

たとえば、慢性的な痛みがある。
血圧の薬を飲んでいる。
膝が以前ほど曲がらない。
眠りが浅い。
疲れやすくなった。

そういう不調があると、人はつい「完全に治ってから動こう」と考えます。

しかし、完全に治る日を待っているうちに、時間だけが過ぎていくことがあります。

もちろん、無理をしてはいけません。
体調を見ながら、少し休むことも必要です。
けれども、病気や不調があるからといって、人生のすべてを止めなくてもよい場合があります。

散歩を短くする。
仕事量を減らす。
人付き合いの回数を見直す。
家事を完璧にしない。
予定を詰め込まない。
少し眠る。

そういう小さな調整の中で、人は病気と「律儀すぎない」付き合い方を覚えていくのかもしれません。

現代社会は、具合の悪い人に少し冷たい

今の社会は、元気な人を前提につくられているように感じることがあります。

朝から働ける人。
すぐ返信できる人。
予定通り動ける人。
感情を乱さず、効率よく、周囲に迷惑をかけない人。

そういう人が標準のように扱われます。

しかし実際には、誰もがいつも元気なわけではありません。

腰痛を抱えて働いている人。
更年期の症状に戸惑っている人。
夜眠れないまま出勤している人。
親の介護をしながら生活している人。
病名はつかないけれど、ずっと疲れている人。

外から見ただけでは、ほとんどわかりません。

『病気も人生』にも、病気は見かけではわからないという視点が置かれています。
これは医療の場では、とても大切な感覚です。

検査結果には出ないつらさがあります。
診断名だけでは説明できない生活の重さがあります。
本人も言葉にできない疲労があります。

人間は、体だけで生きているわけではありません。
仕事、家族、役割、経済的な不安、過去の記憶、人間関係。
そういうものを背負ったまま、病気になります。

総合診療で考える「病気も人生」

総合診療では、症状だけを見るのではなく、その人の暮らし全体を見ようとします。

血圧が高い。
血糖値が高い。
眠れない。
食欲がない。
だるい。
胸が苦しい。

もちろん医学的な評価は必要です。
ただ、それだけでは足りないことがあります。

なぜ眠れないのか。
何を心配しているのか。
誰の世話をしているのか。
どんな仕事をしているのか。
休むことに罪悪感があるのか。
家で安心して横になれる場所があるのか。

こうしたことを聞いていくと、症状の背景に、その人の人生が見えてきます。

病気を治すことは大切です。
けれども、病気を抱えたまま、どう生活を組み直すかも同じくらい大切です。

薬を増やす前に、予定を少し減らせないか。
検査を重ねる前に、眠る時間を守れないか。
気合で乗り切る前に、誰かに頼れないか。
「前と同じ自分」に戻ることだけを目標にせず、「今の自分で続けられる形」を探せないか。

医療は、体の不具合を直すだけの場所ではありません。
ときには、生活の荷物を一緒に見直す場所でもあります。

病気を人生の失敗にしない

病気になると、人はどこかで「負けた」ような気持ちになることがあります。

もっと運動していれば。
もっと早く受診していれば。
もっと食事に気をつけていれば。
もっと強い心を持っていれば。

そう考えることがあります。

もちろん、振り返りは大切です。
ただ、すべてを自己責任にしてしまうと、人は休めなくなります。

病気は、努力不足の証明ではありません。
老いも、不調も、疲労も、人間として自然な一部です。

曽野さんは、病気の時に読書をし、不調の時に自分の生きる道を決めた節があるとも書いています。一方で、病気になるのがよいとは思わなかった、とも述べています。

この両方を並べておくことが、大事なのだと思います。

病気はつらい。
けれども、病気の時間にも、人生は続いている。

その程度の言い方が、いちばん正直なのかもしれません。

おわりに——不調な日の自分を、少しゆるす

元気な日は、前へ進めばよいと思います。
けれども、不調な日は、立ち止まってもよいのだと思います。

病気や老いを、無理に好きになる必要はありません。
痛みをありがたがる必要もありません。
つらいものは、つらいのです。

ただ、不調な自分を人生から追い出そうとしなくてもよいのかもしれません。

今日は少し休む。
今日は少し断る。
今日は少し人に任せる。
今日は早く寝る。
今日はできたことだけ数える。

そのくらいの小さな対処が、人生を支えることがあります。

病気も込みで人生。
そう言えるまでには、時間がかかるかもしれません。

けれども、少なくとも、病気になった自分を責めすぎないこと。
健康でない日にも、自分の時間はまだ続いていると思えること。

診療の合間に患者さんの話を聞いていると、医療が本当に支えるべきものは、病名だけではなく、その人の今日一日の暮らしなのだと感じます。

完全に元気でなくても、生き方を少し整えることはできます。
その余地を、私たちはもう少し大切にしてもよいのかもしれません。