『一緒に飲みたくない客は断れ!』を読んで――「みんなを大切にする」ための線引き

最近、藤嶋由香さんの『一緒に飲みたくない客は断れ!』という本を読みました。
なかなか刺激的な題名です。
ちなみに私は、お酒を飲みません。というより、体質的に飲めません。居酒屋にもほとんど行きません。
そんな私が、なぜ居酒屋経営の本を読むのか。
これが意外と、医療の仕事を考えるうえで参考になるのです。
「客を選ぶ」という、なかなか強烈な発想
著者の藤嶋由香さんは、新橋の「やきとんユカちゃん」などを経営してきた方です。本書は、コロナ禍で厳しい状況に置かれた居酒屋がどう生き残るか、そして、どんなお客様を大切にしていくのかという経営の考え方をかなり率直に書いた本です。
印象的なのは、「すべてのお客様を同じように受け入れればいいわけではない」という発想です。
店を大切にしてくれる人、スタッフへの心づかいがある人、また来たいと思ってくれる人を大切にする。逆に、店やほかのお客さんに大きな負担をかけ続ける人については、時には線を引く。
本書では、こうした考え方がかなりはっきり語られています。また、店だけが客を大切にするのではなく、客も店を気づかうことで、よい場がつくられていくという「心づかいの連鎖」も大きなテーマになっています。
もちろん、居酒屋と医療機関は同じではありません。
それでも私は、「客」を「患者さん」に置き換えて読むと、考えさせられるところがかなりありました。
医療にも、時間と人手には限りがあります
診療所には、毎日いろいろな方が来られます。
病気や不調を抱えている以上、説明がなかなか伝わらないこともあります。何度も確認したくなることもあるでしょう。それ自体は、ある程度当然のことです。
一方で、一人の方への対応にスタッフが長い時間を取られ続ければ、ほかの患者さんをお待たせすることになります。
電話対応が重なれば、受付の仕事が止まります。
スタッフが疲れ切ってしまえば、離職につながることもあります。人が減れば、残ったスタッフの負担が増え、さらに待ち時間が長くなる。
そして、それがまた不満につながる。
なかなか厄介な悪循環です。これは医療だけではなく、飲食店、小売店、介護、教育など、人を相手にする多くの仕事に共通する問題なのだと思います。
「一人を大切にする」と「みんなを大切にする」
医療では、「目の前の患者さんを大切にする」ことはもちろん重要です。
ただ、それを「その人の希望には、時間も人手も無制限に応えること」と考えてしまうと、どこかで無理が出ます。
一人に30分余計に使えば、その30分はどこかからやって来るわけではありません。
次の患者さんが待つことになります。
電話に一時間対応すれば、その間、受付やほかの患者さんへの対応は止まります。
時間も、人手も、体力も有限です。
これは少し冷たく聞こえるかもしれませんが、私はむしろ逆ではないかと思っています。
スタッフが長く働き続けられること。
必要な人に必要な医療を届けられること。
待っている人にも、ある程度きちんと時間を使えること。
そのためには、「できること」と「できないこと」の境界線を作ることも必要です。
すべてを引き受けて全員が疲れ果ててしまえば、結局は誰にも十分なサービスを提供できなくなります。
「特別扱いしてほしい」は、人間らしい気持ちでもある
一方で、患者さん側の気持ちも分かります。
自分が待つのはつらい。
でも、自分の診察では先生にゆっくり話を聞いてほしい。
自分の電話にはすぐ対応してほしい。
できれば少し特別に扱ってほしい。
人間というのは、なかなか都合よくできています。私も患者の立場になれば、同じようなことを思うかもしれません。
だから、「そんな人は困る」と切って捨てる話でもありません。
大切なのは、「自分も大切。でも、隣の人も同じように大切」という感覚なのだと思います。
本書で描かれる繁盛店も、店側だけが一方的にサービスするのではなく、客と店がお互いを少しずつ気づかうことで、その場の雰囲気ができあがっていきます。
診療所も、少し似ています。
医療者だけでは、よい医療の場はつくれません。
患者さんやご家族、受付、看護師、医師。それぞれがほんの少しずつ相手の立場を想像すると、診療所全体がずいぶん穏やかになります。
「選択と集中」は、冷たさではなく持続可能性の話
最近は医療の世界でも、「何でも引き受ける」ことが必ずしもよいことではない、と考える場面が増えています。
波乗りクリニックでも、限られた人数で外来診療や訪問診療、在宅医療を続けています。地域で医療を続けていくには、スタッフが無理なく働けることも大切な条件です。
これは患者さんを大切にしないという話ではありません。
むしろ反対です。
これから先も診療を続けるために、できる範囲を考える。
スタッフを守る。
一部の人だけではなく、できるだけ多くの人に必要な医療を届ける。
言ってみれば、「最大多数の最大幸福」のようなものかもしれません。
もちろん現実の医療は、哲学の教科書ほどきれいには割り切れません。
「ここまではできます」「これは難しいです」
その線引きは、いつも悩みます。
人間相手の仕事ですから、計算式だけでは決められません。
よい場所は、みんなでつくる
『一緒に飲みたくない客は断れ!』という題名だけを見ると、ずいぶん強気な本に見えます。
けれど読んでみると、私が面白いと感じたのは「嫌な客を追い出せ」という部分よりも、自分たちが本当に大切にしたいものを決めるというところでした。
そして、その場所を大切にしてくれる人を、こちらも大切にする。
これは飲食店でも、会社でも、家庭でも、医療でも案外同じなのかもしれません。
何でも引き受ければ優しい、とは限りません。
ときには線を引くことが、そこにいるみんなを守ることもあります。
人間はなかなか思い通りにはいきませんし、仕事も経営も医療も、きれいごとだけでは回りません。
だからこそ、できる範囲を考えながら、無理をしすぎず、長く続けていく。
完璧なサービスより、明日もちゃんと店が開くこと。
医療なら、明日もちゃんと診療を続けられること。
そんなことも大切なのではないか――お酒を一滴も飲めない私が、居酒屋の本を読みながら考えました。
まあ、人生も診療所も、ぼちぼち長持ちするくらいがちょうどよいのかもしれません。


