スマホの向こうの大騒ぎから、少し距離を置いて暮らす

炎上で世論はつくられる ――民主主義を揺るがすメカニズム (ちくま新書)
山口真一 (著)

https://amzn.asia/d/0ipAmvT5

『炎上で世論はつくられる』を読んで――怒りに全部つき合わなくてもいい

最近読んだのは、山口真一さんの新書『炎上で世論はつくられる――民主主義を揺るがすメカニズム』です。2026年1月に筑摩書房から刊行された本で、SNSの炎上、誹謗中傷、フェイク情報、生成AIなどを、データや研究を交えながら考えていきます。政治や選挙の事例も扱いますが、特定の政党や政治家についての本というより、「私たちはネット上の情報にどう動かされるのか」を考える本、と読むと入りやすいと思います。

この本を手に取ったのには、ちょっとした理由があります。

医師向けの情報サービスを見ていると、ときどきコミュニティや掲示板が目に入ります。医学的に役立つ話や医療制度についての情報もある一方で、医師同士が議論を始め、だんだん熱くなり、気がつけば「炎上」に近い状態になっていることもあります。

私も野次馬根性がありますので、「ちょっとだけ」と開いたつもりが、そのままスクロールして数十分。これはなかなか恐ろしい。しかも読み終わったあと、何か賢くなったかというと、必ずしもそうでもありません。むしろ少し疲れている(笑)。気分が悪くなって、そっと画面を閉じることもあります。

そんな経験があるので、本書の「炎上はどうして大きく見えるのか」という話はかなり身近に感じました。

ネットを見ていると、「みんな怒っている」「世の中はこの意見一色だ」と感じることがあります。しかし本書では、ネット上で目立つ声と社会全体の意見は必ずしも同じではなく、炎上も熱量の高い一部の人から広がっていくことがある、とデータをもとに説明されています。

考えてみれば、これは少し不思議です。

静かに「まあ、どちらの言い分も分かるなあ」と考えている人は、たいてい何度も投稿しません。一方、腹が立って仕方がない人は、何度も書き込みたくなる。その結果、画面の上では怒っている人ばかりに見えることがあります。

人間社会というものは、なかなか「投稿数=人数」ではありません。

ここを知っているだけでも、ネットとの付き合い方は少し楽になる気がします。

本書で特に印象に残ったのは、最後に出てくる、とても地味な対策です。

何かを拡散する前に少し間を置く。感情が強く動いたときほど、すぐ反応しない。情報源を確かめる。自分とは違う立場の情報にも触れてみる。そして「自分だけは騙されない」と思い込まない。

派手な方法ではありません。

でも、日々の暮らしというのは、案外こういう地味な工夫でできているのかもしれません。

これは家族との関係にも似ています。

家族だからこそ腹が立つことがあります。「それは違うだろう」と言いたくなることもあります。しかし、正しさを証明することと、関係を続けていくことは少し違います。

すぐに返事をせず、お茶でも飲んでから話す。

今日はこの話をしない。

相手を一つの発言だけで決めつけない。

SNSへの対処法として書かれていることが、そのまま家庭内にも応用できそうなのが面白いところです。

診療の場でも似たことを感じます。

血圧の数字だけを見れば「高い」。検査値だけなら「悪い」。けれど、その人には仕事があり、家族がいて、食事があり、介護があり、眠れない夜があり、楽しみにしていることもあります。

一つの数字だけで人間全体を見ることはできません。

同じように、一つの投稿、一つの発言、一つの失敗だけで、その人全部を説明できるわけでもありません。

総合診療や在宅医療では、病気だけでなく、その人がどんな暮らしをしているのかを見る場面がたくさんあります。病気があっても暮らしは続きますし、家族との関係も、仕事も、食事も、テレビもスマホも、その生活の一部です。医療も人間関係も、少し引いて全体を眺めた方が見えてくるものがあります。

そして病気をしたり、体調が悪かったりすると、使える体力や気力には限りがあります。

私自身も治療を受けながら日々の診療を続けていますが、「世の中のすべての出来事に反応しなくてもいい」というのは、案外大事な生活の知恵だと思っています。

ネットで誰かが怒っている。

掲示板で誰かが言い争っている。

それを最後まで読む義務はありません。

そっと閉じる。

スマホを置く。

コーヒーでも飲む。

犬や猫がいればそちらを見る。いなければ窓の外でも見る。

それで世界が終わることは、たぶんありません。

『炎上で世論はつくられる』は、SNSと民主主義を扱った社会科学の本ですが、私にはむしろ「情報が多すぎる時代に、どう自分の暮らしを守るか」を考える本にも思えました。本書も、誰もが発信者になれる時代だからこそ、日常の小さな選択の積み重ねを大切にしています。

すべての議論に参加しなくてもいい。

すべての情報を追いかけなくてもいい。

「これは本当かな」と少し考え、必要なら調べ、それでもよく分からなければ保留にする。

人生には「分からないまま置いておく」という選択肢もあります。

ネットの世界は今日もにぎやかですが、こちらまで毎回一緒に炎上する必要はありません。

画面を閉じて、ご飯を食べて、仕事をして、眠る。

そんな普通の暮らしを、ぼちぼち続けていけばいいのだと思います。


炎上で世論はつくられる ――民主主義を揺るがすメカニズム (ちくま新書)
山口真一 (著)
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刹那的な感情を煽る「ネット炎上」、真偽不明の「フェイク情報/陰謀論」の拡散は以前から問題視されてきたが、今や政治の世界を覆い、選挙結果を左右するまでになった。米大統領選から参院選まで、注目を集めることに最適化した極端な主張を持つ候補者が支持を得た。既存の政治を破壊するネットの論理とメカニズムとは何か。今後ますますスタンダードになるであろうSNSの暴力と、私たちはいかに対峙すべきか。近年、急激に進む政治とネットの融合を、若き第一人者が問い直す。