藤沢周平『潮田伝五郎置文』―立派すぎないくらいが、ちょうどいい

藤沢周平 (著) https://amzn.asia/d/09NMHQl2
雪明かり (講談社文庫)・『潮田伝五郎置文』
藤沢周平 (著)
貧しくも、明日への夢を持って健気に生きる女。深い心の闇を抱えて世間の片隅にうずくまる博徒。武家社会の終焉を予感する武士の慨嘆。立場、事情はさまざまでも、己の世界を懸命に生きる人々を、善人も、悪人も優しく見つめる著者の目が全編を貫き、巧みな構成と鮮やかな結末があいまった魅惑の短編集。
病気療養中、かなりの数の本を読みました。
抗がん剤が始まってからは瞼が重くなり、普通に本を読むだけでもけっこう疲れます。それでも、Kindleの文字を少し大きくして、薄目を開けて読むとなんとかなる。人間、追い込まれると妙な読書法を開発するものです。
そんな調子で、Kindle版になっている昔の小説、とくに時代小説をずいぶん読みました。なかでも藤沢周平さんの作品はいいですね。しっとりとした情緒がありながら、スリルもサスペンスもあり、剣術あり、権謀術数あり。それでいて最後に残るのは、結局「人間って面倒だなあ」という感じだったりします。今回紹介するのは、短編集『雪明かり』(講談社文庫)に収められた「潮田伝五郎置文」です。
物語の中心にいる潮田伝五郎は、身分の低い武士です。若いころから胸の奥に秘めてきた思いがあり、それが武士の世界の身分差や人間関係、過去の出来事と絡みながら、思わぬ方向へ動いていきます。剣や藩内の争いも出てきますが、藤沢周平らしく、単純な善悪では割り切れない人間の感情がじわじわ効いてくる短編です。
以下、少し内容に触れます。
この作品を読んでいて、なぜか私が強く引っかかったのは、物語の本筋から少し外れたところに登場する「立派すぎる人」でした。
七重という女性の夫、菱川庫之助です。
若いころから秀才として知られ、学問も剣術も申し分ない。将来を嘱望され、実際に出世していく人物です。ここまでなら、文句のつけようがありません。
ところが、その「立派さ」には少々事情があります。
彼は権力者としてふさわしい自分になるために、能力だけでなく、立ち居振る舞い、声、さらには笑い方まで整えていきます。そして妻の七重は、結婚して何年か経ってから、その完璧さの中にある妙なものに気づきます。立派なのは確かなのですが、立派であること自体が目的になっている。藤沢周平は、そこを実に冷静に描いています。
これが、なんとも印象に残りました。
立派なのは、もちろん悪いことではありません。仕事ができる。礼儀正しい。自己管理ができる。責任感がある。医療の世界でも、そういう人は頼りになります。
でも、「ちゃんとしている」が行き過ぎると、ときどき周囲が息苦しくなります。
間違わない。弱音を吐かない。人前ではいつも正しい。いつも冷静で、いつも立派。それが続くと、本人も疲れるでしょうし、一緒にいる人もなかなか気を抜けません。
診察室でも、似たようなことを感じることがあります。
「ちゃんとしなければ」と一生懸命な人ほど、自分の不調まできちんと管理しようとします。食事も、運動も、仕事も、家族への気遣いも完璧にしようとする。でも人間の体も生活も、そんなにきれいには出来ていません。
熱が出る日もあれば、眠れない日もある。予定していたことができない日もあります。私自身、治療を受けながら仕事をしていると、以前なら普通にできていたことが、今日は妙にしんどい、ということがあります。
そういう日は、薄目でKindleを読むくらいでよいのです。
いや、それもなかなか怪しい姿ですが(笑)。
この小説のおもしろいところは、七重が夫の「立派すぎることの異様さ」には気づいているのに、自分に長い間ひそかな思いを寄せている伝五郎の気持ちには、ほとんど気づいていないところです。伝五郎は七重の前では自分の思いを奥深く隠し、一方の七重から見ると、彼は目立たない下級武士の一人にすぎません。
人間というのは不思議なものです。
毎日そばにいる人の違和感には鋭く気づくのに、自分に向けられている好意にはまるで気づかなかったりする。反対に、遠くの人の欠点はよく見えるのに、自分のこととなるとなかなか見えません。
おそらく、みんなそんなものなのでしょう。
私は藤沢周平作品を読んでいると、ときどきこうした「立派すぎる人」に出会う気がします。そして不思議なことに、少しだらしなく、少し頼りなく、ときには酒を飲んで失敗するような人物の方が、妙に人間らしく見えることがあります。
もちろん、だらしなければ何でもいいという話ではありません。
ただ、人生は満点を取り続ける試験でもありません。
八十点の日もあれば、四十点の日もある。今日はもう二十点で店じまい、という日があってもいい。少し隙がある人の方が、周りも「まあ私もそんなものです」と近寄りやすいのかもしれません。
在宅医療でも外来診療でも、その人がどれほど立派に生活しているかを採点するわけではありません。病気があっても、薬を飲み忘れる日があっても、家族とうまくいかないことがあっても、それを含めて暮らしは続いていきます。
完璧な暮らしを目指すより、続けられる暮らしを考える。
これは案外、大事なことではないかと思います。
「潮田伝五郎置文」は、もっと重く、激しい物語です。しかし読み終えて私の頭に残ったのは、なぜか「立派すぎる人はちょっと怖い」ということでした。
少しくらい隙があっていい。
笑われるところが少しくらいあっていい。
周りの人に「しょうがないなあ」と言われる程度のだらしなさも、ときには人間関係の潤滑油なのかもしれません。
私も、あまり立派になりすぎないように気をつけながら、治療も仕事も読書も、ぼちぼちやっていこうと思います。


