14歳の子を持つ親たちへ|「居着き」が奪う時間と、思春期の違和感の正体

外来で感じる「会話の止まり方」

14歳の子を持つ親たちへ 新書 – 2005/4/15
内田 樹 (著), 名越 康文 (著)

外来で、思春期のお子さんの相談を受けることがあります。

親御さんが話している途中で、ふと違和感が出ることがあります。
言葉は続いているのに、どこかで話が止まっている感じです。

「この子は昔からこうで」
「最近はスマホばかりで」
「何を考えているのかわからない」

そういう言葉の中に、少しだけ引っかかるものが残ります。

うまく言えないのですが、
関係そのものが少し固まっているような、そんな印象です。


『14歳の子を持つ親たちへ』という本

今回取り上げるのは、内田樹さんと名越康文さんの対談集
『14歳の子を持つ親たちへ』です。

この本の中で印象に残る言葉のひとつに、「居着き」という概念があります。

もともとは武道の言葉で、
恐怖や緊張で動けなくなる状態を指すそうです。

ただ、ここではもう少し広く使われています。

ある対象や考えに意識が固定されて、
それ以外の見方に切り替えられなくなる状態。

つまり、「見方が一つに固まってしまうこと」です。


「理解しよう」とするほど固まる関係

思春期の子どもに対して、親は理解しようとします。

それ自体は自然なことですし、むしろ大切な姿勢だと思います。

ただ、この本を読んでいて感じたのは、
「理解しようとすること」自体が、時に関係を固めてしまうことがある、という点です。

「この子はこういう性格だから」
「思春期だからこうなるはず」

そうやって枠組みを作った瞬間に、
その枠の外にあるものが見えにくくなる。

これが「居着き」なのかもしれません。


現代は「居着き」を量産する社会かもしれません

少し視点を広げると、
この「居着き」は親子関係だけの話ではないように思います。

仕事でも、人間関係でも、
私たちはすぐに「こういうものだ」と意味づけをしてしまいます。

効率的に生きるためには必要なことですが、
同時にそれが視野を狭める原因にもなります。

そして厄介なのは、
一度その見方に居着いてしまうと、そこから動けなくなることです。

「この仕事はこういうもの」
「この人はこういう人」
「自分はこういうタイプ」

そうやって固定された認識の中で、
同じ消耗を繰り返してしまう。

少し厳しい言い方をすると、
現代社会は「考えなくてもいいようにする仕組み」を提供する一方で、
「居着きやすい環境」を作っているようにも感じます。


医療から見た「居着き」

総合診療の現場では、
症状そのものよりも、その背景を見ることが重要になります。

例えば、慢性的な疲労や不調の背景に、

・無理な働き方
・過剰な人間関係
・やめられない習慣

があることは少なくありません。

これらは一種の「居着き」とも言えます。

本当は違和感があるのに、
そこから動けなくなっている状態です。

体調不良は、ある意味でそのサインとして出てくることがあります。

だから医療は、単に症状を取るだけでなく、
「どこに居着いているのか」を一緒に見ていく作業でもあるのだと思います。


少しだけ視点をずらしてみる

この本を読んでいて思うのは、
解決策がはっきり提示されているわけではない、という点です。

むしろ、「見方を固定しないこと」そのものがテーマのように感じます。

親子関係も、仕事も、人間関係も、
一度決めた理解に居着かないこと。

それだけで、少しだけ余白が生まれるのかもしれません。

外来で感じるあの「話の止まり方」も、
もしかするとその余白がなくなった状態なのかもしれません。

少しだけ見方をずらす。
少しだけ距離を取る。

それだけで、取り戻せる時間もあるように思います。


完全に何かが変わるわけではないですが、
少しだけ楽になるきっかけにはなるかもしれません。